|
|
ビキニの水爆実験以来の数年間の平和運動の盛上がりが、青年運動の分野では、世界青年学生平和友好祭(モスクワ祭典)をめざす多彩なイベントとなり、その頂点がモスクワへの代表派遣だった。
このモスクワ祭典への代表派遣運動は、戦後の青年運動の中で、恐らく空前絶後の幅を持った大運動だったと言ってよいと思う。中央では、日本青年団協議会(日青協)、全日本学生自治会総連合(全学連、)、日本農民組合青年部、国鉄・教員・建設・金属・炭鉱・農林・印刷・銀行等の主要な労組青年部、国際交流関係・文化芸能関係の諸団体が参加した実行委員会が、地方では、43の都道府県で実行委員会が結成され、当初500名の大代表団を送り出す勢いだった。 |
|
|
|
|