前代表社員長崎真人自分史
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第四部】第八話 諸々の社会的活動に参加(10)
 
 最初は、昭和53年大平内閣の「一般消費税」。翌54年の総選挙で自民党が大敗し廃案となった。
 2度目は、昭和62年の中曽根内閣の「売上税」。これも廃案に追い込んだ。
 3度目が、昭和63年竹下内閣が上程した「消費税」。これが国民の猛反対を押し切って国会を通過し、平成元年から適用され現在に至っている。

 昭和から平成に変わるこの時期、「大型間接税」阻止の運動は、かってない国民的な広がりを持った大運動になった。大平、中曽根、竹下と3度名前を変えて上程されたが内容は殆ど同じで、国民の側ではまとめて「大型間接税」と呼んで反対運動を展開した。全国津々浦々に「大型間接税阻止協議会」が生れた。
 
 町田でも、地区労、民商、土建労組を中心に業者団体、婦人団体、市民団体、文化サークル等が参加して「協議会」が結成された。
 私は、結成の初期から参画し「大型間接税」の本質を説明する講師活動に飛び回った。大きな団体だけでなく、幼稚園のお母さん方の会、子供劇場のグループ、管工事組合、電気商組合等の業者団体の集まりにも呼ばれた。地域も、町田中心に隣接する神奈川県北部、横浜、川崎にも及んだ。最大は相模原市公会堂での500人規模、最小は5〜6人の小集会まで、講演回数は30回を超えた。
 税理士冥利に尽きる生甲斐のある活動だった。