前代表社員長崎真人自分史
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第四部】第八話 諸々の社会的活動に参加(10)
 
 私が、法対策委員会の役に就いたのは、東京会の気鋭の新役員の手で、税理士本位の新たな「税理士法改正要綱」作成の機運が起きつつあった時期であった。
 だが、一度挫折した運動を再建するのは極めて困難だった。
 税理士法の民主的な改正を求める運動は、1970年代に1度大きな盛り上がりを見せた。この時も、当局の執拗な圧力と役員選挙への干渉で、東京会を中心とした運動が挫折させられた。
 私も支部では委員長として声を大にして新要綱賛成の論陣を張ったが、賛同者は少数、大方は静観の体だった。結局、東京会の機関決定まで漕ぎ付けた「改正要綱」は棚上げにされ、当局の意向に沿った改正が進められた。
 
これより後、税理士制度を税務行政の下請機関化する傾向が、残念ながら定着しつつあると言わねばなるまい。
大型間接税阻止の大運動に取組む
 「直間比率の是正」「所得・消費・資産の間でバランスの取れた税体系の構築」そして「活力ある高齢化社会」を目指す、簡略すれば「福祉のため」と言う理由付けで、大型間接税の導入が歴代自民党内閣の基本政策となった。
 「福祉のため」は全くの嘘で、戦後曲がりなりにも維持してきた所得税中心の「応能負担の原則」=民主的税制を根本から破壊して、多国籍化しつつある日本の巨大企業と米資本の要請に応えて、「資本主義最後の税制」と言われる徹底した「大衆課税」制度を構築するものだ。