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旧満州(中国東北)で、ソ連軍に蹂躙された開拓団の皆さんや残留孤児の悲劇ほどではなかったが、軍隊や国家による保護が突然失われ、かっての優越的な地位から、忽ちにして敗戦国民として異国の地に取り残された亡国の民に、どんな運命が待っていたか、この年8月15日以後、台湾在留の日本人も異常な(あるいは極めて貴重な)体験を余儀なくされた。 |
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その日が8月15日だと言う事は、実は後で知った事、昼夜の別なく体力の限界を超えた重労働に明け暮れていた、当時の我々には、暦の観念はとっくに失われていたのだが、早朝の作業に出ていると連絡があって、至急隊に戻れと言う。
何の事か判らぬが、重大放送があると言う事で、この前と同じく、武装して校庭に整列した。
正午、「捧げつつ」の号令。そのままの姿勢でラジオ放送を聴く。唯、ガーガー言う雑音だけで全く聞き取れぬ。終わって皆を兵舎に戻すと、本物のゾルの将校と下士官たちは、ソソクサとどこかへ姿を消した。
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