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高校では、先生も生徒も半年前と同じ顔ぶれ、寮も教室も軍隊召集前と変わらず、一見何事もなかったかの如く授業は再開された。
しかし、かっての学究的な落着いた雰囲気は、もう戻って来はしなかった。
10月はじめ、中国軍が上陸してくると言うので、台北の街中に歓迎のアーチが建てられた。「慶祝!山河祖国に還る」「歓迎!吾が祖国の勇士」赤や緑の飾り付けに囲まれ、そんな金文字が掲げられた。連日連夜、爆竹がなり、台湾人街はお祭り騒ぎであった。 |
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日本人たちは声を潜めていた。郡部の警察の派出所が襲われ警官が殺されたとか、台北の学生間でも、高商でも医専でも日本人学生がリンチにあったとか、不穏なニュースが伝えられるようになった。
そして、いよいよ国民党の軍隊が上陸してくると言うその日には、街中の台湾人学生や市民が、基隆の埠頭まで歓迎に行った。
間もなく、台北に入って来たその軍隊の隊列を私も見た。先頭にはきらびやかな軍旗をかざし、奇妙なチャルメラを吹き鳴らし、白馬に跨った泥鰌髭の大将の後に続く、その隊列は、なんとまあ、漫画で見たままの姿。一様に番傘を斜めに背負い、とんがった布靴あり、サンダルあり、鉄砲は横に担ぎ、弾薬箱も大きな鍋釜も天秤棒でひょいひょいと担いでいく。 |
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