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一夜明けると、昼頃から雨風となり、日暮れと共に暴風圏に入ったのであろう凄まじい吹き降りとなった。雨も風も容赦なく吹き募り、何時小屋ごと吹き飛ばされかねない形勢となった。
疎開荷物の柳行李や布団袋を積み重ねて、その間に皆伏せているようにと、私は言い、私は独り小屋の入り口の戸を押さえていた。
台湾と言うところは、その名の如く、毎年幾つもの台風の襲来を受ける土地柄で、私は幼時からの体験で、この戸が破られれば一挙に屋根が吹き飛ばされるであろうと観じていた。 |
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風は私の力に余り、雨は滝の如く、まるで修験者の姿であった。幾時間そうしていただろうか。夜が白み、幾分風が衰えたかと思う頃には、掘建て小屋の土台はすっかり洗われて、最早倒壊寸前だった。急ぎ皆を表に出し、最後に私が脱出した直後、あっけなく小屋はペシャンコに潰れてしまった。
幸い隣の小屋が無事だったので、そこへ鮨詰になって移り住んだ。
悠子姉と妹の久美子が蛙(水鶏と言っていた)を捕まえてきて七輪で焼いて食べさせてくれた。すさんだ軍隊生活から帰ってきた私にとって、それがなんとも暖かく心に沁みるご馳走だった。
1週間程そこで過ごし、私は台北に戻った。 |
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