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こんな具合でしたので、私には頼りに出来るものは何もありませんでした。幸い父が養成工の宿舎の舎監になり、やがてその宿舎の一室を私にあてがってくれたので、学校から帰ると、そこに閉じこもって深夜まで勉強しました。
頼みは、台北で買ってきた2冊の参考書だけでした。私はそれがボロボロになるまで、繰り返し繰り返し完全にマスターするまで徹底して勉強しました。
新しく教科に加えられた数学の順列・組合せなどは、花蓮港中学ではほとんど教えられませんでしたので、完全な独学といって良かったでしょう。 |
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それにしても、あの戦乱の時代にあって、花蓮港の美しく伸びやかな環境で、思う存分勉強に打ち込む事が出来たのは、夢多き私の少年期に、忘れえぬオアシスのような幸せなひと時でありました。 |
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花蓮港中学の学友と私(左端)
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