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当時の学制(旧制)では
戦後1947年に教育基本法と共に学校教育法が公布されるまであった学制(旧制)について、戦後世代の読者のために、ここで説明したいと思います。
明治政府は、維新後間もない明治5年、学制を公布し国民皆教育の方針を確立。前後して徴兵制も施行。この二つはその後一貫した富国強兵策の柱となりました。それが太平洋戦争終結まで続いた旧制の学校制度でした。
小学校は、戦争中に国民学校と改称されましたが、義務教育であった6年制の尋常小学校と、2年制の高校科(高等小学校)がありました。大多数の子は尋常小学校まで、一部高等科を経て、職に就きました。
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小学校から先、中学校あるいは農学校・商業学校・工業学校等の職業学校に進むのは少数の比較的恵まれた家庭の子でした。これらはすべて私費でしたが、別に全額国費の師範学校がありました。
中学校も農学校等の職業学校も5年制でしたが、4年修了で上級学校の受験資格を認めていました。
この上に、3年制の高等学校或いは大学予科、農業専門学校・高等商業・高等工業・医学専門学校・高等師範学校等の専門学校がありました。
その上に更に3年制の大学がありましたが、当時では、大学に進めるのはほんの一握りのエリートでした。
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