前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第十二話 台北一中から花蓮港中学へ転校(
 
第12話 台北一中から花蓮港中学へ転校
 翌1943年の春、姉と私も住み慣れた台北を後にして、花蓮港に引越す事になりました。私は、台北一中を中退し花蓮港中学4年生に転入することになったのです。家庭の事情止むを得ない事とは言え、来春には上級学校の受験を控えての転校でした。
私は、台北を去るに当たって、栄町の本屋で、英文法1冊、数学1冊の参考書を入念に選びました。恐らく来春の受験は独力で臨むほかあるまい。この2冊の参考書、これだけが頼りだと心密かに決していました。
   私が、どうしても高校に行きたいと言うと、母は悲しげな顔で「医専に行けば良いのに」と言い、それでも最終的には「それでは自分で頑張るのだよ」と言ってくれました。
 父母は、家計のやり繰りについては子供たちには絶対に聞かせない主義でしたが、戦時下の苦しい家計の中、長男を内地の大学にやり、次男までもと言うのは、母としても思い余る事だっただろうと察せられます。
 それでも、台北一中にいれば楽々高校に進める成績であったのに、台湾でも一番の田舎の中学に転校して、中位の成績の生徒が行く専門学校を選ぶのは如何にも悔しかった。