前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第十一話 戦雲の下、忽ちにして一家離散(
 
姉と二人だけで台北の家に
父母と幼い弟妹が花蓮港に越して行った後、台北市東門町の家には、姉と私二人だけが残りました。
学校から帰ると、ガランとした古びた家には誰もいませんでした。姉が勤め先から帰ってくるのは、夕方6時過ぎ、時により7時過ぎ、真っ暗になってからでした。私が風呂を沸かし御飯だけ炊いて待っていました。
姉は、良く学校菜園で採れたキャベツやカリフラワー (花野菜と言っていた)を持って帰ってきました。それから慌しくおかずを作り、二人だけの夕食です。それが何故か淋しいよりも楽しかった。
 この時までは、子供が5人もいると、私には専用の勉強机も場所もありませんでした。それが広々とした家で、好きなだけ自由に勉強できるようになったのが嬉しかった。英語と数学が特に好きでした。英語は辞書を徹底的に予習して、新米の若い教師を質問で追い詰め困らせたりしました。
 

台北一中での私の成績は、自分でも信じられないほど急上昇しました。それまで200人中20番位の所にいたのが、二学期の席順は一挙に4番でした。
冬休みになって花蓮港の家に向かう臨海道路のバスの中で、姉は私の成績表を何度も見直しながら、吾が事のように得意気でした。
三学期の成績は6番でした。三学期の成績と言うのは、年間を通じ集計した成績が記載される事になっていましたので、それが6番だったという事は、三学期単独で見れば、おそらく1番か2番の好成績だったかと思います。
人間なにが幸いするか、人の運命は判らないものだと思います。