前代表社員長崎真人自分史
目次へ 前のページへ 次のページへ
第三部】第十四話 青天の霹靂「六全協」()
 
最初の職場は鋼管の転炉工場の建設
 鶴見の同志が早速、働き口を見つけてくれた。それは、「製缶工」と言い、野帳場で鉄骨を切ったり繋いだりして、現場を点々とする下請のまた下請の労務者だった。作業着一式、地下足袋、脚はんまで揃えてくれて、O同志が案内してくれたのは、日本鋼管の構内に転炉工場を新設する現場だった。

 転炉工場と言うのは、恐らくビルの5〜6階に相当する高さだと思う、その外枠の鉄骨がほぼ出来ていて、付属の階段や手すりを取り付ける仕事だった。
 最初のひと月はO君が一緒で、何も出来ない私の面倒を見てくれたが、何もできないでは不味い、出来る振りをしろと言う事で、見よう見まねで、ガスで鉄板や鉄骨を切断する作業をやった。これを一段づつ階段の手すりや踏み板として溶接していく。段々高くなる。狭い人一人ようやく通る階段を切断した材料を肩に上がっていく。下は眼が廻る高さだ。
 

 ある日、救急車のけたたましいサイレンが響き渡った。同じような作業をしていた労働者の1人が3階の高さから転落したのだ。救急車が走り去った後に、神主が来た。綺麗に血を流し清めてお払いをし終わるのが、事故発生から10分と掛からない手際の良さ。さすが「金と命の交換(鋼管)会社」だ。

 食うや食わずでやせ細った身体で、いきなりこんな重労働の職場に飛び込んだのだから、「無知ほど恐ろしいものはない」と言うべきだろう。
 そんな仕事をしながら、夜は、反町にあった事務所に通って、民青県委員会の残務の処理に当たった。
 これ以降、3年間に私が従事した職種は10指に余る。その全部は紹介しきれないが、次号以下で特に忘れ難い職場の経験談を披露したい。