前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第十四話 青天の霹靂「六全協」()
 
混乱の中で職業革命家の道を閉ざされる
 党機関では、それまで肥大化していた機関要員の整理を進めることになった。自信をなくして、任務を放棄する者も出てきた。
 そんな空気の中で民青県委員会でも「常任を置く事は無理ではないか」と言う事が問題になった。私にとっては、人生のすべてを捧げてきた職業革命家としての行き方を否定される議論だった。私は必死の思いで説得を試みたが、大勢如何とも抗し得なかった。
 それまで本当に無理をして私を支えてくれていた財政部長のI同志が「やりたければ1人で勝手にやれば良い」と言って席を立ってしまった。もう1人の常任委員だった同志はいち早く仕事を見つけて就職してしまった。
 
横浜地区委員会でも常任を廃する事が決まった。私は完全に浮き上がってしまった。

 実際、それまでも最低の生活を賄うほどの常任費をもらえた事はなかった。1日1食が日常だった。時たま、同志たちが食事をおごってくれたり古着をまわしてくれたりしてくれたのが、私の生活の支えだった。「六全協」後、ほとんど団費の納付が止まった。私の財布は完全に空だった。それはそうとして、京浜は圧倒的に労働者の街で、働かないで寄生しているような生き方は、恥ずかしい事のような空気がひしひしと迫ってきた。私は、働きながら県委員長の任務を全うしようと決意した。「決意した」と言えば偉そうだが、本当は労働の現場の重みを知らない、ドンキホーテの突撃みたいなものだった。