前代表社員長崎真人自分史
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第二部】第一話 万感の想い込め、さらばイラ・フォルモサ(まえがき)
 
引揚列車は無法地帯
 鹿児島から大阪までは、引揚者専用の特別列車であったので、夫々に座席が取れて、疲れ果てた身体を休める事が出来た。
 しかし、大阪で乗り換えた北陸線は滅茶苦茶であった。無法地帯であった。人も荷物も力任せ押合いへし合い、やっとの事で窓からみんなを押し込んだが、最後に乗った私は窓に腰掛て上体は車外にあった。当時の汽車はそれこそ最低の品質の石炭を焚いていたのだろう。忽ち、眼も鼻も口も煤煙で真っ黒になったが、掴まっているのがやっとで、手を離して顔を拭くことも出来なかった。

 台湾を出て13日目の夕刻、こうして一家は、本籍地・村松(新潟県中蒲原郡村松町)に辿り着いた。
 

 見覚えのある村松の町並みは、少年時代の記憶よりもひとかさ小さく、屋根の低い鄙びた暗い街だった。
 父母は、人目を避けるように、駅を出るとすぐ裏道に入り、人通りのない路地を選んで、一家6人落人のように無言で一列に並んで足早に歩いた。
 新町の家には、叔父一家がやはり台湾から先に引揚げてきていて、幼い従兄弟たちが駈け出てきた。 そのうしろから「オウオウ」と声にならない声を出して立った祖父の姿は、顔も身体も細く、背丈だけが目立った。祖母は「ホンニまあまあ」と涙ぐむばかりだった。