前代表社員長崎真人自分史
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第二部】第一話 万感の想い込め、さらばイラ・フォルモサ(まえがき)
 
うめき声と悪臭漂う引揚船内
 船は、戦時急造の5千トン程の貨物船だった。その船倉を蚕棚のように幾段にも区切った板敷きが船室だった。それぞれが家族とまとまって、座る場所を確保するのがやっとだった。横になれば、寝返りを打つ余地はない。幾百人ほどの乗船者が居たのか知らない、ともかく積めるだけ詰込んだ満員だった。

 間もなく誰もが激しい船酔いに襲われた。うめき声と悪臭が船室に溢れた。最早、感傷に耽る余裕を持つものなど居なくなった。
 もともと貨物船だから、乗客用の設備など何もない。洗面やトイレの設備さえもない。トイレと言えば、甲板から海に張り出して作られた板囲いが数箇所。
 下は船腹を打つ怒涛である。波しぶきが直接吹き上げ、トイレの板戸は海風に煽られてバタンバタンと開いたり閉まったり、とてもしゃがむ事も出来ない。
 

 屈強な若者ならば、甲板の手すりに掴まりながら海に向かって放水する事も出来た。それさえ瞬時にしぶきとなって我が身に吹き返ってくる。女性や子供たちはどう処理していたのだろうか、私には記憶がない、想像も出来ない。

 世話をする船員も極く僅かだったので、食事時になると、軍隊のメシアゲ当番のように班毎に炊事場まで貰いに行く。その飯たるや、真っ黒なヒジキと麦粒を形もないほどにドロドロに煮た雑炊だ。塩水で煮たような胸を突く臭い、見るからに反吐を催すその色。誰一人まともに口に運ぶ者は居なかった。
 今はただ、誰も彼も、命があってこの船に乗り合わせた事を幸せと思い、無事身体一つ内地に辿り着く事を祈るほかなかった。