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4月1日、一家6人(父母、姉、妹、弟、私)は、これが最後だと言う引揚船に高雄港から乗り込んだ。
高雄港は、敗戦国の敗残の民を送るにふさわしく、無残にも荒れ果てていた。
埠頭には、焼け残ったクレーンや倉庫の鉄骨のひしゃげた姿、港内には、幾隻もの沈船の残骸が、恨みを残すかのように行く手を遮る。船は、それらを避け徐行して港外に出る。 |
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やがて、それらも視界から消え、船足は人々の感傷を引き裂くかの如く早まる。船は、一旦南下し、台湾最南端のガランビ岬を廻りバシー海峡を通って太平洋に出るコースを取るのであろう、海岸線に並行して走る。
さまざまな感慨を抱いて、甲板に佇む人々。
その眼前に横たわる長い海岸線は、この島をはじめて見たポルトガルの船員が「イラ・フォルモサ」(麗しい島)と叫んだと言う、豊かな濃緑に覆われた美しい自然であった。 |
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