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「台湾戦争」=下関条約によって清国より割譲を受けたとは言え、台湾を武力制覇し占領する戦いは、正に戦争そのものであった=その戦争による日本側の戦没者(病死を含む)の数を、前記の著者は3期に分けて記録を示している。
第1期(1895年上陸から南部の高雄占領までの5ヶ月) |
4,498人
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第2期(1902年までの6年間、全島にわたって数々の反乱あり) |
3,824人
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第3期(1916年までの15年間、全島の治安が安定するまで) |
1,270人
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合計 |
9,592人
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これは日清戦争の戦病死者8,395人をはるかに超えている。このすべてが正規軍ではない台湾民衆の「義勇軍」を相手にした戦争の犠牲と言う事ですから、どれほど激しい抵抗があったかを明瞭に示していると思います。
台湾島民の犠牲は、第1期1万4千人、次に起きた北部蜂起で2,831人と記録されている。第2期第3期まで合わせると3万人を下らないでしょう。
この血の滴る史実を抜きにしては、台湾を語る事はできません。 |
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