前代表社員長崎真人自分史
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 【第一部】第四話「怖かった「土匪」虐殺の跡」(
 
 表玄関の基隆から上陸するのは抵抗が大きすぎると判断した征討軍は、東に迂回して「澳底」に上陸し、「双渓」までは左程大きな抵抗にも遭遇せず、平地を進む事が出来たでしょう。それでも、上陸作戦で400余の「敵」を掃滅したとの記録があります。
 ここから基隆に抜けるには「三貂嶺」の険を越えなければならず、そして、ここに拠る「義勇軍」の抵抗は必死のものがあり、ここが最初の激戦地となったのでしょう。兵力には圧倒的な相違がありました。装備においても訓練の度合いにおいても優劣明らかな征討軍は、初めての戦闘に勢い込み、反抗する者に対し徹底的な壊滅を図った。どれほどの犠牲者が「双渓」の丘に埋められているのか知るすべは今のところありません。
 幼時、私が体験した何とも言えぬ恐怖は、無法な武力で平定された、無惨な民衆の恨みの因果と言うべきだったでしょう。


 
  「澳底」は、太平洋に面し遠浅の砂浜が弓なりになった美しい海岸で、幼時、父親に連れられて一家で夏休みのキャンプを楽しみました。
 私たちのほかには海水浴客は誰もいませんでしたので、広い海も海岸も独り占めして伸び伸びと遊ぶ事が出来ました。朝、目を覚ますと無数のヤドカリの足跡がタコノキの林に続いていました。

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