前代表社員長崎真人自分史
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第四部】第七話 旅行記の続き(1011)
 
戦後50年を記念して沖縄戦跡と八重山諸島を訪ねる
 1995年7月、21名の旅行団を編成して、かっての激戦地、そして今なお米軍基地の重圧下にある沖縄と、エメラルドグリーンの海に包まれ、美しく貴重な自然がいっぱいの八重山諸島を訪ねた。
  石垣島の夜は、丁度7月7日七夕にあたり、満天の星空だった。みんな子供に帰って浜辺で線香花火を楽しんだ。
 西表島では、遊覧ボートで仲間川を遡って奥地に入り、日本では此処だけの亜熱帯の樹林を探検。
 由布島では、水牛が引く車で地元の人の長閑な民謡を聞きながら島内を一周。時の流れが止まったような1日を過ごした。
 
「平和祈念堂」に献花
 沖縄本島では、問題の嘉手納基地を一望する丘に立って、その広大な威容を再認識。首里城観光後、今回の旅の最終目的地、50年目の南部戦跡地を訪れた。
 「ひめゆり記念館」のガイドは、展示されていた女学生たちの写真とそんなに違わない年頃の女性で、目頭を押さえながらの説明だった。
 牛島司令官の最後となった海軍壕、全国各県の出身者を祭る記念塔が林立する摩文仁の丘、おびただしい犠牲者の名を刻んだ「平和の礎」に祈りを捧げ、最後に「平和祈念堂」に準備しておいて貰った長崎事務所同友会名の花輪を供え、ひとりひとり思いを込めて参拝した。

 その夜は、琉球舞踊と沖縄民謡を存分に楽しんだ。