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湘南商工会での事は、私の人生に新たな一段階を区切る事になる。次回以降でそれに触れる事になる、その前に、この時期の締め括りとして書き残したい事がある。それは、私の青春のすべてを燃焼し尽くした青年運動との最後の別れの場面の事。
「六全協」後の組織的混乱の中で、民青常任の地位を離れざるを得なくなった事情は前に書いた。私は、職安の日雇いを皮切りに、働きながら民青の仕事を続けようとし、1957年の世界青年学生モスクワ祭典に参加する前後までは、何とか任務を全うしようと努めたが、永年の常任活動でやせ細った身体では、段々両立は断念せざるを得なくなった。 |
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この間、困難に耐えて組織を守り抜いてくれた若い仲間たち、私に職を斡旋してくれたり、生活の支えになってくれた仲間たちの友情には、言うに言えない感謝を捧げたい。 |
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1960年3月、共産党中央委員会が「日本民主青年同盟の拡大強化のため」の方針を決定した。私は、日ならず感想を書いて中央委員会に送りこれが投書として「アカハタ」に掲載された。私の投書の趣旨は次のような事だった。 |
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