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心なしか、迷惑そうな顔だったが、農学部長に相談したりして、紹介状を書いて下さったのが、その後、タレントの入学で有名になったK女子学園だった。今は町田にも校舎がある。
多摩川に近い校舎を訪ねた。古びた校舎だった。年配の女性の園長と教頭先生が面接して下さった。「新学期を控えて丁度先生を探していたところだった、教育大教授の推薦なら」と、トントン拍子の話だった。私の経歴は勿論不問の事。
喜ぶべき話だのに、私はどうにも気が進まなかった。正直、戦時中の学業がどこまで通用するか?教師という仕事は全く未経験、それも私立のお嬢さんたちを教えるなんて見当もつかない。民青の高校班の仲間と付き合うのとは感覚的に一致しようもない。
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決定的だったのは、校舎に満ちた女の子の体臭が鼻について、生理的拒絶反応に耐えられなかった事。私も若かった。
「給料の額が不満なら相談に乗る」とまで言って下さったのに、私はひたすら頭を下げて帰ってきてしまった。
兄も、教育大の教授も腹を立てていたが、謝る外なく、これで教師の道はお終いになった。
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