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末端の党員には知り難かった事であったが、党中央ではこのコミンフォルム論評を廻って重大な意見の対立が生れていた。
しかも重要な事は、意見の相違を民主的同志的な議論で一致させる努力をせず、異論を述べる同志を一方的に排除すると言うような、とんでもない官僚的独裁的なやり方が、責任ある幹部の手で進められたことである。
更に、意見の相違を内部的な討議によって解決するのでなく、党外に持ち出して自己の正当性を主張すると言う、明白な規律違反まで現出した事が、混乱に拍車を掛けた。その際たるものが、最高幹部の一人志賀義雄が、自分の意見をまとめた意見書いわゆる「志賀意見書」を密かに機関外に持ち出した違反行為であった。 |
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政治局に提出された「志賀意見書」は、拡大中央委員会総会で本人が撤回を表明し、公式には解決済の筈であったが、どのようなルートによってか、杉並地区の地区委員野田、アカハタ分局長宇田川らの手で党の内外に配布された。
さらに「中野新聞」(中野地区党の地域新聞)に記者の独断で転載されると言う、明白な分派活動が展開されるにいたった。
私は、この年の初め民青団のオルグとしての担当地域を、中野に加えて杉並も担当する事になっていたので、これらの動きを身近に知り得る立場にあった。 |
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