前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第五話 朝鮮戦争勃発を前に、コミンフォルムの重大干渉に直面()
 
 1月6日に続いて17日、中国共産党機関紙「人民日報」が「日本人民の解放の道」を発表。同月27日には再びコミンフォルム「恒久平和と人民民主主義のために」が「劉少奇テーゼ」の意義を強調する論説を発表した。
 前年11月北京で開催された世界労連・アジア大洋州労組会議で、中国共産党の劉少奇は「人民解放軍」方式による以外にこの地域での革命を進める道はない、と言う見解を発表していたが、この見解つまり武装闘争路線を日本にも押付けてきたのだ。
 
日本の党と民主勢力に与えた深刻な影響
 現在の日本共産党であったら、このような外国からの頭ごなしの干渉は決して許さず、自主独立の立場で毅然と対処する事ができただろう。
 しかし、戦後間もないこの時期、日本共産党は急激な情勢の変化に対応して、具体的実践的には必要な戦いに取組んではいたものの、基本的綱領的な路線を確立するに至ってなかったし、より重大な事は、党内の英知を集め一致団結して対処する保証である党内民主主義が確立してなかった。

 忽ち混乱に陥った。「50年問題」と呼ばれる事になる党史に一大汚点を残す分裂。
 これに付け込んだ、占領当局の党非合法化処置、更にソ連・中国共産党の一層の干渉が、党だけでなく民主勢力全体に深い傷を負わせた。