前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第十六話 廃校・旧制台北高校の苦悩(
 

台北高校の鐘の音
 台北高校は大正11年の創設。外地では唯一の旧制高校であった。南国でもあり植民地でもあり、自由でのびやかな独特な気風があった。
そのシンボルが、第二代三沢校長(第一校歌の作詞者)が、昭和4年本館完成の時に、アメリカの農場から取り寄せたと言う鐘。その鐘の音は本当に美しかった。七色のあるいはそれ以上の複雑な音階を奏で、朝な夕なに台北市中に響き渡った。
 入学してすぐ本館屋上に見に行った。それは映画で見たノートルダム寺院の鐘と同じ方式で、直径1メートル程の二つの鐘が交互に揺れ動き、鐘の中心に下がった玉が鐘を打つ、その緩慢に応じて微妙な音色を出す仕組み。

鐘に固定された歯車に巻きつけられたワイヤーが、1階の玄関ホールまで通っていて、これもノートルダムのせむし男と言えば極端だが、どことなく相通じる風貌の小柄の小使さんが、精一杯に伸び上がりぶら下がり、全身の力で、このワイヤーを引いて鳴らすのだ。
 戦後、学校が接収され鐘守が変わった途端に、カタンコトンとまるでようやく音を出すだけの事。ついには我々が引揚げた2年後にはひびがいって補修も出来ない状態になったと。戦後も数年間、留用になっていたM教授の同窓会誌への投稿にあった。先生は「祖国への操を守ったのだろう」と書いておられた。
 「天上の楽の音」とも言うべき、あの美しい絶妙な調べは、最早、永遠に失われたのだ。