前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第十六話 廃校・旧制台北高校の苦悩(
 
 この発言は、台湾人インテリをその後長く支配する事になるコスモポリタン的思想の萌芽をすでに見せていた。彼らにとって「祖国」とは「民族」とは何であろうか?自分たち自身のアイデンティテイを問い続けなければならない。
 むしろ敗戦国日本の我々よりも深刻な苦悩を彼らは既に抱え込んでいた。
 日本人寮委員が自発的に退陣する事を暗黙の了解とし、寮委員を改選することを決して寮生大会は終わった。
 
 私は数名の親友と共に寮を出て、空き教室に柔道場から運んだ畳を敷き、七輪と飯盒で飯を炊いて、そこでアルバイトと学業半々の3月ほどを暮らした。
 インフレは空前のスピードで進み、家からの仕送りは忽ち消えて、市役所の防空壕の取り壊し、引越しの手伝い、果ては街頭で太鼓饅頭売りまでして、飢えを凌いだ。街では、失業して生活苦に陥った日本人が皆、道路に家財道具を並べて売り、引揚船を待っていた。
飯盒