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最後のストームは、日本人学生も台湾人学生も一緒だった。
“ああ純真の意気負う青春の日は暮れやすく、ひとたび去って帰らぬを、
など君立ちて舞わざるや、いざ手をとりて歌わなん、生の歓喜を高らかに、高らかに”
万感の思いを込めて歌う校歌には力がなかった。涙で喉が詰まった。足もふらついて良く上がらなかった。
私は後で知ったのだが、七星寮でも夜を徹してのファイアストームがやられたそうだった。そこでも日台同窓は堅くスクラムを組み別れを惜しんだとの事だった。
慌しい別離であった。別れを惜しむゆとりは与えられなかった。夫々に引揚のため家路へ急がねばならなかった。 |
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