前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第十四話 青天の霹靂「六全協」()
 
 私のこの自分史は、これ以上、これらの理論上の諸問題に触れる余力はない。
 ただ、基本的な路線の転換の当然の影響として、ひとりひとりの党員にとっては、それまでの活動スタイルを総点検し、自己改造を迫られる、生き様に関わる深刻な問題であったという事。その渦中で、第一線にいた若い青年活動家のひとりが、この時代をどう生きたかを実録として留めたい、それがどんなに小さな足跡であっても、何かの役に立てて頂ければ、望外の事と思うばかり。
 
運動の絶頂から大混乱へ
 前号までに述べたように、われわれは朝鮮戦争期の弾圧に耐え抜き、職場や地域での青年大衆の日常的な要求に密着した活動で歩一歩組織を固めてきた。

 ビキニの水爆実験を機とした平和運動の大きな広がりの中では、全県的な青年運動の大統一行動を実現したし、その先頭に立って意気高く活動した県下の民青は、最高の組織数を勝ち取っていた。

  更に、学習を重んじる気風を醸成して独自に行った「県民青幹部学校」の卒業生は50名を超え、新しい幹部によって地区・県の機関も確立した、その矢先の事だった。