前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第六話 レッドパージの嵐の中で()
 
初めて知る「労働者的気風」
 夜になると集まってくる仲間たちは、近くの製材所で働く若者をはじめ、町工場や石川島の同志など、皆気の置けない連中だった。「江戸っ子は口は悪いが気風はいい」と言う。確かに「この野郎」「バカ野郎」「何言ってやがんでェ」などと言う言葉が乱れ飛ぶ。これが最高の親しみの表現だ。
 中に面白い言葉で記憶に残るのに「ハンテリ」と言うのがある。インテリの半分と言う意味だ。木材の同志のひとりが小説好きで夜になると良く本を読んでいるのをからかって綽名をつけ「おいハンテリ」と呼んでいた。「インテリ」はからかう材料なのだ。みんな筋骨逞しく明るい仲間たちだった。
 


 私は、唯ひたすら夢中になって飛び歩いて、諸君の評価を得たようで、良く飯をご馳走になった。工場班が7つ、居住班が4つで総数100人足らずの組織では、私の手に入る活動費はとても足りる筈はなく、コッペパンひとつで過ごす毎日で、着る物も同志たちが古着をカンパしてくれたので間に合わせた。
 私と良く一緒に青旗を担いで工場廻りに同行してくれたのは、親兄弟をすべて大空襲でなくし孤児となった、まだ中学を出たばかりの少年だった。