前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第七話 新潟の田舎へひとり里子にやられて1年余/村松藩「長崎」の先祖(
 
第7話 新潟の田舎へひとり里子にやられて1年余

 小学3年生を終えた春休みだった。私が知らぬ間に、母が懇意にしていた台北市内の呉服屋の番頭さんに連れられて、私はひとり、内地に行く事になった。その人は伊部さんと言って、新潟の片田舎、越後広田の高等小学校を出るとすぐ、独りで台湾まで丁稚奉公に来ていて、今度、徴兵検査で郷里へ帰ると言う事だった。当時は満20歳で兵役の義務を課され、その前年には徴兵検査を受けるため、日本男子全員が何を置いても本籍地に出頭しなければならなかった。
 
 どう言う事情で、私がこの青年に連れられて、内地の祖父母のところに行く事になったのか、私には判らなかった。何の説明もなかった。親の意思が絶対な時代で、すべて親任せ、生来、暢気坊でもあったので別段気にも留めなかったが、後年、父母に尋ねてみたところ、なんだか歯切れの良い返答ではなかった。

 内地の祖父母が年老いて淋しい、孫の顔を一度見たいと言うような事だったろうか。それにしては、お祖母さんが訪れる人毎に「まあこんな幼げな子を台湾くだりから独りで寄越すなんて、寄越す親も親だが、来る子も子だて、ほんにまあ、たまげたこんだて」と話していたのを聞くと、祖父母の方から積極的に呼んだと言う事ではなかったようだ。