前代表社員長崎真人自分史
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第四部】第四話 ゼロから出発の税理士事務所()
 
 客は、ほとんどが中小企業の叩き上げの社長で、夫々に個性があり面白い人柄だったが、一仕事終わった後、一杯飲み屋に誘われるのが、これも苦手で、社長の自慢話やこぼし話を、ひたすらお聞きするだけで、早く家に帰りたい想いだった。それでも社長族の人生の遍歴は小説になる、いつか時間が取れたら是非小説にしたいと思ったりした。
 理容組合の組合長で、町田で1・2の理容店の経理を担当する事になった。
 大晦日、仕事を終えた商店街の客が正月用の散髪に来る。それを終えないと、従業員の給料計算ができない。除夜の鐘を聞きながら、店の2階で10数人の年末調整をしたのも忘れ難い思い出だ。
 
 2年後(1972年)、町田市役所のすぐ近く町高通りの商店の2階を借りて事務所を移す。
 玉川学園の事務所は、自宅兼用で来客を迎えるには何かと不便だった。10件余の客数では、ギリギリの算段だったが、来訪者の便宜を考えて、思い切って中心部に進出する事にした。

 顧問先は、次々に紹介され順調に増えつつあった。その矢先、ドルショックの直撃を受けた。1971年8月ニクソン大統領が、突然金ドルの交換停止を声明。