前代表社員長崎真人自分史
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第四部】第一話 湘南商工会事務局員として「民商攻撃」に直面()
 
会員現勢1千名突破と業者党員の誕生
 不当攻勢がようやく下火になり、一時減少した会員数を盛り返し、湘南商工会(神奈川県民商湘南支部)の会員現勢は1000名を超える勢いとなった。
 数だけではない、粘り強い戦いを共にして、会員の意識も団結力も、不当攻勢前とは明らかに違ったものとなった。
 辻堂では、数人の業者党員が生まれた。いずれも階級的には、労働者階級ではない、小市民あるいは勤労市民と呼ぶべき階層の人々だ。戦いを通じて、この階層の仲間を戦列に迎え得たと言う事は、新しい党綱領のもとでの画期的な成果と言って良いと思う。何よりも嬉しい事だった。
 党組織建設の波は他支部にも波及し、私は事務局細胞の責任者・湘南地区委員の役も持たされた。
 
藤沢市議選挙で選挙事務所長を務めて
藤沢 昭和42年、藤沢市議の改選に当たり、それまで1人で永く市議を務めていた同志が高齢で引退し、替わって民商から1人、土建から1人、合わせて2人の複数候補を初めて立てることになった。
 私は、辻堂支部から藤沢支部事務局長に転任し、同時に市議選挙の選挙事務所長を務める事になった。
 橘通りの入り口に、バラックだが結構広い事務所を急造し、そこに略1ヶ月間仮設ベッドで住み込んだ。