前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第十話 血のメーデー そして神奈川へ(8)
 
勇敢に反撃し味方を守った青年たち
 民青は、この事態でも散り散りにならなかった。隊伍を立て直すと、負傷者を後方に送り、最前列で味方を守る布陣をとった。
 当時、革命的な青年の中で流行っていた映画に「若き親衛隊」と言うのがあった。ナチスの占領下にあったウクライナの炭鉱地帯で、勇敢に戦ったうら若い青年たちの実話を映画化したもので、その英雄的・犠牲的精神は、民青員の魂を揺さぶるものだった。その「親衛隊」になった心境だった。

 投げ込まれてきた缶詰状の催涙弾を投げ返す。目は涙でボロボロ、皮膚はヒリヒリだが、ひるまず噴煙の上がった奴を拾っては投げ返した。
 

 その時だった。ズドンと言う鈍く太い発射音がして、見ると警官隊の一部隊が膝撃ちの構えで水平に発射していた。警告発射ではなく最初から明らかに殺傷を狙ったものだった。デモ隊に負傷者が続出する事態となった。
 後で知るのだが、都庁職員で民青員の高橋正夫君が拳銃弾を受けて即死。法政大学の学生近藤巨士君は頭蓋裂傷で若い命を奪われた。

 (この日の事件の経過は、後に「メーデー事件」被告として無罪獲得まで長年にわたって頑張られた岡本光雄さんの<昭和史の発掘>「メーデー事件」白石書店発行に詳しい)