前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第十話 血のメーデー そして神奈川へ(8)
 
 当時の総評を中心としたメーデー実行委員会は、事前に「人民広場」の使用を申請、これを禁止した政府と訴訟で争い、第一審の地裁判決では「皇居外苑はかっての聖域ではない。新憲法の下では、国民は最早臣民ではない。国民の大多数を占める勤労者が団結権を誇示する事は憲法が保障するところ」と、実行委員会側に勝訴の判決を下した。くしくも4月28日、講和発効と同日であった。
 不当にも政府は、即刻控訴し、「人民広場」使用禁止を解除しなかった。
 
「人民広場」の使用は、平和・独立・国民主権のシンボル
 実行委員会は、やむなく会場を神宮外苑とし、第23回中央メーデーを開催した。
 だが、圧倒的な参加者の声は「人民広場」の使用は当然の権利、使用禁止に屈従すべきでないと言う事だった。講和条約の発効もあり、それまで味わってきた被占領下の重圧に最早耐え得ない思いもあった。
 集会が終わりに近くデモ行進に移る頃には、誰言うともなく始まった「人民広場へ行こう」のシュプレッヒコールが、次第に高く大きくなり、会場全体を包む勢いになっていった。