前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第八話 浦島太郎の心境()
 
「山村工作学校」で白根鉱山へ

 都内各地区から20名ほどの青年活動家を集め、「山村工作学校」を開くと言う。
 「学校」と言っても別に講義はない。高崎の党の事務所で、2・3名づつの班を編成。山間の数箇所を日程に従って工作してくるという実地教育である。
 私が組んだのは、大田の労働者出身だと言うが、痩せで無口で、何とも頼りない新人。持たされたのは、紙芝居のセット、パンフレット50冊ほど、それに青旗。現金はゼロだ。
 コースは、鉄道で先ず吾妻線中之条まで行く。次に中之条から徒歩で白根硫黄鉱山を目指して登る。下って嬬恋村の開拓地を訪ね、1週間で高崎に戻る。
 案内は渡された地図以外には何もない。ただ、ポイントになる宿泊地には、それぞれ訪ねるべき同志宛の紹介状を持たされた。
 


 先ず高崎の駅前でパンフレットを売って旅費を作る。
 最初の中之条の宿は、中国帰りの若い住職が守るお寺だった。ノンべの豪傑で毎晩檀家回りして飲めるだけ飲んでは、袈裟も衣も脱ぎ捨てて帰ってくると、美人の奥方が嘆いていた。
 白根鉱山は、山の中である。頼りにならない地図で見当を付け、登り当ったのが幸い村の分教場だった。珍客到来とばかりに子供たちが大歓迎で、担いできた青旗を渡すと、奪い合いの大騒ぎになった。若い先生が出てきて、どうぞ紙芝居をやって下さいと言う。まるで警戒心がないと言うか人懐っこいと言うか、授業そっちのけで先生も生徒も一緒に、初対面の我々が演ずる紙芝居を、大喜びで楽しんでくれ、山登りの疲労感は一挙に吹っ飛んだ。