前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第八話 浦島太郎の心境()
 
「世界青年反戦デー」集会・デモの先頭に立つて

 翌1951年2月21日、この日は世界民主青年連盟が決めた「世界青年反戦デー」。
 世界各地で青年による戦争反対の集会やデモが一斉に開かれると言う事だった。
 東京では、錦糸町駅前の公園に全都の青年学生が結集する事になった。地図で見ると「猿江恩賜公園」となっていて、今は立派な公会堂も建っていたりして整備された緑地だが、当時は単なる空き地だった。

 その空き地に夕闇が迫る頃、現地の民青の責任者であった私は、指令に従って、隠し持ってきた青旗を、空き地の真ん中にすっくと立てた。

 


これを合図に物陰から続々と青年たちが集まってきた。民青団書記長Kが短く決意を込めた挨拶。即刻、隊伍を組み、そこから200メートルほどの錦糸町駅前までデモ。千名近い人数だったと思う。
 この前年から東京では、あらゆる集会・行進・団体行動が占領軍の指令で禁止されていたのだから、これは明らかな非合法デモであった。けたたましいサイレンの音と共に、武装警官を満載したトラックが数台疾走してきたが、デモ隊は駅裏に廻って流れ解散した後だった。
 警備の隙を突いた示威であった。統制の取れた見事なデモで成功と言えば成功だったが、良く考えれば、何の意味があったのか判らない。