前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第ニ話 若さ一杯の青共本部()
 
戦後の党の科学技術政策の変遷

 これは、私の考えだが、現在の党の綱領路線が固まるまでの党の政策・方針には、根本的な欠陥があったと思う。科学技術政策、広く言って文化政策には一面的な偏りがあった。

戦後最初の党大会決定の行動綱領
1945年12月1日第四回大会決定の日本共産党行動綱領には、次のように書かれている。
 『軍国主義的・帝国主義的法制文化および教育制度反対。人民解放のための進歩的文化の創造と普及の支持強化』
 
民主主義科学者協会の創立宣言
 翌1946年1月12日設立された「民主主義科学者協会」の創立総会宣言は述べる。
 『日本封建主義・軍国主義はその専制主義・侵略主義を擁護すべき似而非科学を育成し、国民の知識の武器たるべき真正科学を絞殺した。・・・中略・・・民主主義日本の成長と確立は、科学及び科学者が自己を取り戻し、日本国民の間における革命的民主主義と歩調を揃え、その支持を得つつ、封建的反動的科学及び思想との闘争、民衆に役立つ真の科学の研究と普及、反民主主義的教化制度及び政策との闘争を通じて、それに協力することなしには不可能である・・・後略』