前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第ニ話 若さ一杯の青共本部()
 
うたごえ運動 ここに始まる
 「うたごえ運動」と「中央合唱団」を知る人は多いでしょうが、その事の起こりが、関鑑子先生と青共文化部との合作による「青共中央合唱団」だったと言う事を知る人は、今では少なくなったようです。私が青共本部に入ったのはその「青共中央合唱団」設立間もない時でした。
 関鑑子先生は、東京音楽学校を首席で卒業、戦前、日本を代表するソプラノ歌手として活躍していた。その一方、早くからプロレタリア文化連盟に参加、プロレタリア音楽家同盟委員長を勤められた。同志として結ばれた小野宮吉氏は、新協劇団・築地小劇場の演出家として活躍した、プロレタリア演劇同盟のリーダー。前進座の創立にも参画した。
 
 関鑑子先生は、1946年・戦後初のメーデー(第17回)以来、最後となった1973年の第44回メーデーまで、毎年、中央メーデー会場での合唱指導に当たられ、そのタクトを握ったまま倒れられた。