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ある日の事、兄が言う事には「明日から中間試験が始まるから風呂焚き当番を代わってくれ」と。私は口を尖らせて「僕だって宿題がいっぱいある」と言う。2・3度言い合いをしているうちに、兄は怒り出し、いきなり殴りかかってきた。「お前は、村松のおばあちゃんに散々甘えてきて」「兄の言う事も素直に聞けないのか」と言う。
確かに、村松の皆さんは精一杯温かく私の面倒を見てくださった。しかし、それにしても幼い身独りで、親元遠く離れて暮らしてきた寂しさは誰にも判るまいと思う。
年の割には兄は小さい方、私は大きい方だったので、悔しさのあまり武者ぶり付いて行く私の体を、兄は簡単にはねじ伏せられなかった。
ところが、何と言う事だろう。上になり下になり揉み合う兄弟を横目にして、母がこう言った。
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「良いからこの際、徹底的にやって終いなさい。兄さんの言う事は聞かなきゃいけないんだと言う事を判らせた方が良い」と。
止めに入るかと思った母が完全に兄の味方だったとは。私は全身の力が一挙に失せ、勝ち誇った兄が馬乗りになって、両拳を振るうに任せました。ただ精一杯の大声で「殺せ、殺せ」と叫び続けました。兄が疲れて制裁を止めるまで。
今の時代では、理解できない話だと思いますが、「長幼序在り」の家父長制が支配する時代では、次男坊が跡取りである長男に反抗する事は許されない事。家の将来を思えば、その秩序を明確にしておく機会だと母が考えても、無理はなかったのです。
「殺せ、殺せ」と叫ぶ私の声も、その秩序の前には無力でした。 |
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