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最初の秋、運動会の時期が近づいたある日、父は母に「運動会じゃナ、部落中が集まる事になるし、庄長(村長)や視学(教育行政の監督官)も来る事だし、精一杯日頃の成果を見せたいと思うのだが、何しろあの汚い服装ではナァ」と嘆息交じりに言いました。すると母は、「いいわ、私が縫ってあげる」と即応。早速、台北までキャラコの生地を買いに行って来ると、徹夜でミシンを踏み、33人分の体操用のシャツとパンツを仕上げたのでした。 運動会の当日、純白の体操着の子供たちの、見違えるような生き生きとした演技に、部落中が熱狂的な拍手を惜しまなかったと言います。 |
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