前代表社員長崎真人自分史
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第四部】第十一話 雀百(才)まで踊り忘れず()
 
革新市政の再建を目指して

 第九話で、町田市選挙管理委員長を務めた時のことを書きました。その後数年で、誠に残念な事に、私を選挙管理委員に推薦した共産党市議団が、第4党から5番目の議席数に後退し、私の選挙管理委員の任期は3期12年で終わる事になりました。
 それは、革新統一候補として、皆で押し上げた筈の寺田市長が、二期目に革新陣営を裏切って自民党と手を結び、共産党を除くオール与党体制に鞍替えした時期でもありました。
 かって「福祉の町田」と言われた「町田の福祉」を取り戻すために、革新市政を再建する事は町田市民の悲願です。
 
「革新町田市民の会」代表委員として3度の市長選挙を戦う
 選挙管理委員の職にある間は、特定の政党政派のための選挙活動にかかわる事は禁じられていました。郷里では、2度にわたって兄の長崎明が、新潟県知事選挙に革新候補として立ち健闘しましたが、私は選挙管理委員在任中で何もしてやれず、歯ぎしりして見守るほかありませんでした。このときの想いからすれば、選挙管理委員の職を解かれ自由の身となった事は、開放感溢れることでもありました。
 早速、「町田革新懇」の常任世話人、合わせて「革新町田市民の会」の代表委員を務める事になりました。以来12年、3度の市長選挙に「革新無所属」三溝裕子候補を擁立して戦いました。