前代表社員長崎真人自分史
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第四部】第五話 事務所運営の基本を確立(10)
 
データ通信システムをいち早く導入

 事務所開設2年後の1972年、町高通りの市役所前交差点に近い、飲食店の2階を借りて事務所を移転した。事務所に来て下さる関与先の便宜を考えての事だった。10坪ばかりの部屋、職員は1名、関与先は10数件に過ぎなかった。

 移転後間もなく、電電公社のデータ通信システムを導入した。
 
 これは、センター設置の大型コンピュータに経理データを送信し、センターで処理して試算表や元帳にして送り返すと言うシステムで、当時としては、電算化の最先端を行くものだったが、小型パソコンが普及し電算処理が当たり前の事になっている現在からすれば、隔世の感がある幼稚なシステムだった。

 データの1字1字をパンチして、1行6個の小さな穴を開けた、長い紙テープを作成し、これを専用の送信機に掛けるのだが、1社1月分を送るのに1時間近く掛かった。途中で引っ掛かってやり直しになる事も多かった。