前代表社員長崎真人自分史
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第四部】第ニ話 「不惑」にして岐路に立つ(1011)
 
 更に2週間後、また代々木へ行く。「どうも何も症状が改善されない。かえって頭が重い」と言うと、内科の主治医は「これ以上は私の手に負えない。精神科に廻って貰う事にする」ただし、精神科の専門医は常勤ではなくて月に何度か横須賀から出張して来られるのでと、その日程を調整して下さった。

 「精神科」と聞いて、私はカッと眼を見開いた。当時は、今とは比較にならず、精神科は遅れていて、治療は手探りの状態だったし、私自身も世間の常識も、精神科と言うと「隔離病棟」とすぐ頭に浮かぶ次第だった。
 私はその日、投与された何種類かの薬を、帰路、駅のゴミ箱に投げ捨てた。
 
 「精神科に廻されたら俺の人生は終わりだ」と思った。「もう医者の言う事には従わない。医者とは決別だ」と最後の力を振り絞って決断した。

 当時の医学知識では、止むを得なかったと思うのだが、本部の判断は、私が思想的におかしくなっているのではないか。やる気がないのではないか、と言うような事で、何人かの幹部が見舞うと言うよりも観察に来た結果が「何月何日までに出勤して職務に復帰せよ」と言う指令だった。
 生憎、風邪を引き、ギックリ腰を起こして起き出せず、本部の指示に直ちに応じる事が出来ず、1週間後ようやく4ヶ月ぶりに出勤したが、周囲の空気はいささか冷たかった。