前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第七話 築地警察署勾留23日()
 
築地小劇場の弾圧に出動した老刑事の昔語り
 接見は禁止が続いたが、差入れが許可になり民青の同志が入れてくれた折詰と果物を、房を出て警官の休息所みたいな部屋で頂いた。年輩の刑事が懐かしそうな顔をして私の前に座り昔話を始めた。築地小劇場の臨検に良く行ったそうで「俺たちは百姓だ」「いくら働いても暮らしが立たない」と言うような台詞を真似して見せて、忽ち「中止」「総検」で舞台の上も観客席も大乱闘、何百人もここの2階にしょっ引いてきて大変な騒ぎだった、と言うような話を何のつもりかひとしきり語って聞かせた。
23日目の検事の取調べで黙秘を通す
 その日が23日目の勾留満期に当たるということを私は認識していなかった。
 朝食後すぐ検事の取調べだと言う事で、手錠・腰縄つきで出掛ける事になった。
 車でなく徒歩で行くという。護送の警官も1人だけ。
 
 何日ぶりだろう。久しぶりの外界は、色彩に溢れて眩しかった。晩秋の日比谷公園の何と美しかった事よ。
 私が先に立ち、腰縄を引いた警官を後に従えるような感じで、公園を闊歩して行くと、たまたま向うから来た学生風の人が私を知ってか「頑張って下さい」と声を掛けてくれた。

 検事が言う。「もう他の人は全員釈放して、貴方1人残っているだけなんですが、どうですか、姓名だけでも言ってくれれば貴方も釈放しようと思うのですがね」と。私は言い放った。「今更何ですか。貴方が不当な勾留でしたと謝るなら、名乗ってもいい」と。検事は苦笑して「そうですか。それでは又入っていて下さい」と言った。
 有難い事に戦前と違い新憲法のお蔭で、この時期には自白の強制も拷問もなかった。こう言っては差しさわりがあるが、私は留置所の生活をむしろ楽しんでいて、頭を下げてまで出して貰おうと言う気は毛頭なかった。