前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第四話 史上空前・国電ストの第一線に()
 
しかし、裁判の過程で、自白の誘導・強要の事実とアリバイが証明され、第一審を担当した鈴木裁判長は、諸々の干渉を排して、事件は「全く実体のない空中楼閣」、「竹内の単独犯行」と断じ、党員9名は無罪、竹内には無期懲役が言い渡された。
 第二審では無実を主張する竹内に対し、事実審理もせずに死刑判決。
 続く最高裁では、8対7で死刑を確定。竹内景介は獄死した。

謀略その3
 国鉄の人員整理と気脈を通じるように、東芝も7月5日4600人の首切りを発表。東芝松川工場では、8月8日首切通告。労組は8月17日24時間ストを予定していた。
 
 その8月17日午前3時、青森発上野行きの旅客列車が、福島県金谷川駅と松川駅の中間S字カーブで脱線転覆。機関士と助手が犠牲になった。
 この時も、何ら捜査に着手もしていない段階で、政府は「三鷹事件その他と同一の思想的背景」と発表。国鉄労組員10名、東芝松川労組員10名を逮捕。両組合幹部の「共同謀議」と断じて、第一審で5名に死刑、5名に無期、10名に有期懲役を課した。

 これは長い裁判闘争となった。
 事件から5年後、広津和郎氏の「松川裁判批判」が中央公論に連載され、世論が大きく動いた。10年後、共同謀議が全く架空であった事を証明する「諏訪メモ」を検察が隠していた事が明らかになった。
 59年最高裁が「原判決破棄・高裁差戻し」と判決。15年後の63年仙台高裁で被告全員の無罪が確定した。