前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第四話 史上空前・国電ストの第一線に()
 
 夜が白々と明けてきても、普段なら始発から慌しく走り回っているはずの、通勤幹線・中央線の電車がすべて車庫に入ったまま、静まりかえった構内は神々しいほどの静寂が支配していた。これが空前絶後の国電ストの体験だった。

 この時の中野電車区分会の書記長だったI氏は、その後、私の本籍・新潟で党の県委員長を永く勤められ、中野車掌区分会書記長だったG氏は、町田市長選挙の選挙事務所に応援に来て下さって、革新町田市民の会の代表委員として選挙事務所に詰めていた私と、50年ぶりの再会を遂げた。G氏は永年、生活と健康を守る会・東京会の会長を勤められ2004年末に勇退されるまで、初心を貫徹された。
 
「下山事件」「三鷹事件」松川事件」相次ぐ反共謀略事件と戦って
 この年、戦後史に刻み込まれる深刻な謀略事件が連続して惹き起こされた。
 事件直後から当局は、マスコミを動員して、共産党と労働組合が仕組んだ事件だと何の根拠もなく大宣伝し、国鉄職員10万人をはじめ定員法による官公労働者の大量首切りに反対する戦いに打撃を与え、合わせて、この年1月の総選挙で一挙に35議席を獲得した日本共産党に対する国民の支持を決定的に失墜させようとした。

 「戦後は遠く」なったと言われる。何時しか人々の記憶から薄くなりつつある戦後史の大事件だが、真実は隠されたまま、「共産党は恐ろしい陰謀団体」との感覚だけは残されたのではないかと考える時、事の真相を語る意味は今なお失われていないと思う。