前代表社員長崎真人自分史
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第二部】第四話 生きる道を得た出会い()
 
 小学校六年の時、自分より勉強ができたのに中学校に進まず、実務コースの商業学校に行った友の事。上級学校に進む事など全く無縁であった花蓮港中学での移民村の子弟たちの事。植民地台湾では、台湾人学生に対しては、如何に優秀でも厳然たる差別があった事。

 この農事試験場の中にも様々な人生がある。東大や京大を出てきた幹部級の研究員のほかに、農専や農学校出の助手たち、それに多くの目立たぬ農夫たちの存在がある。当時の試験場の中では、それらに画然たる差別があった。
 
 そして、研究室で白い上っ張りを着て何やら難しそうな顔をしている研究員たちよりも、下積みとなって広い農場の管理に追われている農夫たちの顔立ちのほうが、高小出でしかない若い農夫たちでさえ、人生を達観した立派な面玉をし、逞しさと明るさと人間的な豊かさを感じさせる。中には、ろくに勉強しない研究員よりもはるかに良く判ったベテランの農夫がいたりした。