前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第十七話 追われる如く去る故郷台湾(
 
 翌28日、暴力的な取り締まりに抗議する民衆の自然発生的なデモが長官公舎を包囲した。これに無警告の機銃乱射が見舞った。忽ち多数の死傷者が出た。しかし、台北市民は屈しなかった。逆に怒りの火は燃え上がった。
 犠牲を恐れぬ肉弾で諸官公署を占拠し、台北放送局から全島に決起を訴えた。
 火は忽ちにして全島に拡がり、各地で呼応し蜂起した民衆が、次々に国民党の軍隊・警察を武装解除し、完全に国民党政権を圧倒した。彼らはなす術もなく遁走し姿を隠すだけであった。
 
 
 台湾人民は、自らの手で秩序を回復し事態を収拾すべく、各地に「処理委員会」を結成。「全省処理委員会」も台北に成立。これらの委員会には、台湾人の知識人や有力者が選ばれ、平和裏に国民党政府の陳儀長官と交渉し、民主的な自治政府の成立を目指すはずであった。

 陳儀長官は、狡猾にも、表では「処理委員会」の要求に、全面的に同意する素振りを見せながら、時間を稼ぎ、その裏で蒋介石に増援部隊の派遣を要請。
 3月7日夜半から8日未明にかけて、2個師団の弾圧部隊が陸続と台湾に上陸。台湾人と見れば無警告無差別、狂気の殺戮を開始した。