前代表社員長崎真人自分史
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 まえがき(
   明治以降、政府は近代化を急ぐあまり、「富国強兵」策をとり、帝国主義列強に対抗して近隣諸国に侵略の歩を進め、ついには太平洋戦争に突入、かってない悲劇を味わうに至るのですが、その最初の帝国主義戦争が日清戦争(明治27・8年:1894・5年)、その戦果が最初の植民地・台湾の割譲と言うことでした。

 日本は、この最初の植民地の経営に全知全霊を注ぎました。当時、アジア、アフリカ、アラブのすべてが欧米列強の手で分割支配されていました。極東の小国日本が、これら列強に伍して力量を世界に示す事ができるかどうか?台湾での植民地経営の成否に掛かっていたと言って良かったでしょう。
   初期の徹底した武力制圧が終わると、鉄道・道路・港湾の整備、電力・灌漑施設等の産業基盤の建設を進めると共に、衛生と教育に力を注ぎ、民心の掌握に努めました。特に太平洋戦争の時期には、南進の最重要基地として、すべてを戦争目的に狩り立てるために、現地の人々を思想的にも動員する「皇民化運動」が徹底して行われました。「皇民化」と言うのは、大多数の中国系の人たちも、原住民の「高砂族」と呼ばれた人たちも、「天皇の臣民」として強制的に同化すべく、言語も風俗習慣も宗教も、すべての固有の文化を奪い、日本人になりきるように要求する、そう言う運動でした。